【ガラスはどれくらいつくられているか】 日本のガラス会社でどのようなガラスがどれだけ製造されているかを調べて、ガラス工業製品の動向を考えてみた。異なるガラス製品の生産量を比較するのはむずかしい。というのは、ガラスの生産量は、製品の種類によって枚数、本数、個数、重さなど違った単位によって表現されるからである。さらに詳しくいえば、同じようにみえる板ガラスでも、たとえば厚さによって、1枚あたりの値段が違い、単位重さあたりの値段も違う。そこで、ここでは、出荷額に基づいてガラスがどれくらいつくられているかを考えることにする。 表1 1年間のガラスの出荷額の詳細(2005年)
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【「ナノガラス」の名付け親“???”】 | |
1985年以来、ガラス関連企業、産総研、ニューガラスフォーラム(NGF)で、ニューガラスに関する国家プロジェクトの実現を沢山の方々が議論・検討し、いろいろなテーマを提案してきた。ナノガラス・プロジェクトが始まる前年の2000年はじめには、@環境調和型高機能ガラス材料創製技術(安井PL想定)、Aテラフォトニクス材料(提案の途中からナノガラスに改名)(平尾PL想定)の2テーマが提案された。当時は、フォトニクスによる光情報処理の分野が華やかになり始めた時代で、最終的には、Aに@が吸収される形でナノガラス・プロジェクトが決まった。Aの提案内容は、当時の東工大の伊賀健一教授ほかからご意見を聞き内容が検討され、当時の通産省・住宅産業窯業建材課・萩尾正治課長補佐の指導のもとに、当時の産総研・山下部長・山中主任研究官・西井RL、そしてNGFでは上杉専務を筆頭に準備が始まった。 「ナノガラス」という名称は定着してきた。さて、誰が命名したか、研究を推進したものでも知っている方は少ない。名前が決まった前後の状況を記録に残しておきたい。 筆者は2000年3月にNGFに出向した。そして、5月某日、京都に出張し、レストランに向かっていたとき携帯電話がなり、上述の@を「環境調和型高機能創製技術」、Aを「ナノガラス」として通産省から提案されるが意見はないか、またこれらの定義案を送れと連絡がNGF・伊勢田企画部長から入った。ナノガラスのほかにもいくつかの候補名があったように記憶する。その中で、‘Simple is best’でナノガラスに決まったと記憶する。当時の通産省の薦田研究業務課長を22日に、浦島技術審議官と梶村工業技術院長を23日に、上杉専務と訪問しており、メモを見る限りこのときにはナノガラスなる名称を使用していない。正式には、5月23日以降に通産省(現経産省)の中で使用され、とくに6〜8月にかけての予算要求作業の中で、ナノガラスという言葉が強調されて使われるようになったようである。 名称が決まってから、当時は某会社で次世代半導体プロセスの研究をやっていた、いまは遺伝子組換えの研究をやっている筆者の娘から、半導体分野の層間絶縁膜に使用されるゾルーゲルの論文では、Nanoglassの名前が使用されていることを聞き、上杉専務と相談し、日本語では「ナノガラス」、英語ではNanotechnology Glassということになった。Nanoglassは欧州ですでに商標登録がなされ、米国でこれを使用しているメーカーが訴えられているという話も入ってきた。そこで、英文での外部発表では、Nanoglassという英語名は使用しないこととし、使用されないように気を配ってきたが、中には使用したものがいくつかある。 以上、プロジェクト立上げ時の様子を振り返ってみて、ナノガラスの名付け親は、当時の通産省・萩尾正治住宅産業窯業建材課長補佐(現NEDO・バイオテクノロジー・主任研究員)、誕生日は2000年5月23日であると結論するものである。 朝倉書店 出版「ガラスの百科事典」より引用 |
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【ガラスも疲労する】 | |
ガラスの最大の欠点が割れることであることはよく知られている。私たちは、日常生活で窓やびんやコップが割れないように注意し、ガラス会社では日夜割れにくいガラスをつくる研究に取り組んでいる。ガラスが割れる現象や強度のことを考えるときには、じつはガラスにも疲労現象があり、そのことが話をむずかしくしていることを理解する必要がある。
ガラスの皿を1mほどの高さから床に落とすと、ガチャンと音がして割れる。これは、床にあたったときに皿のどこかにガラス中の隣り合う原子の結合を引き離す引張り力がはたらくからである。しかし、理論的な強さは1mの高さから落としたくらいで割れるほど小さいものではない。わかりやすくするために、直径1mmの細いガラス棒の理論的な強さを計算すると、強度は2tの重りをつるしても割れないほど大きい。これに対し、実用ガラスの強さはその1/200の10kgの重りで割れるほど小さい。 実用のガラスの強さがたとえば理論値の1/200程度であるのはなぜかという問いに対して、1920年にイギリスの建築家のグリフィスが答えを出した。それによると、ガラスの表面には1〜10μmほどの微小なきず(グリフィスのきず)があり、直径1mmのガラス棒を10kgの力で引っ張った場合、たとえば、その200倍に近い2t/?の力がきずの先に集中してかかり、そのため原子の間の結合が切れてきずが大きく伸びて、ガラスは二つに割れる。きずが伸びる途中で枝分かれするといくつかの破片になる。 手で触る、雑巾で拭く、ガラスを重ねる、ガラスどうしを接触させる、強い力を加えるなどすると、グリフィスのきずが新しくでき、また、もとからあるきずが大きくなってガラスは弱くなる。この現象は、ガラス工学で疲労と呼ばれている。疲労が積もると、これまで割れなかった小さい力でも割れるようになる。 ガラスに疲労が起こるため、今手にしているガラス製品がどの程度の力に耐えるかを試験であらかじめ決めることはむずかしい。ある一定の力を加える試験で割れなかったとしても、このときに目に見えない疲労が進み、実際に使用するときに、試験ではどうもなかった力で割れるかもしれないからである。 筆者にはつぎのような経験がある。1970年代に、床に落としたくらいでは割れない非常に強いガラスの皿が発明され、販売された。発売当時は、故意でなければ、落として、もし割れたら新しいものと取り替えるという保障つきであった。そこで、大学の講義の時間に強いガラスの例として、この皿を床に落としてみせる実験をした。教授室で試しに落としてみたら、大丈夫であった。そこで、安心して教室に出かけ本番で落としてみせたら、大きい音はしたもののガラスは割れないので、学生は感嘆の声を上げた。そこで、得意になってもう一度落として見せたのがいけなかった。今度は、皿は木っ端微塵に割れてしまい、残念ながら、ガラスはもはや割れるものだという印象を学生に与えてしまった。1回、2回と前もって落としてみたときに疲労が起こり、ガラスは弱くなったというのが説明であり、言い訳である。 朝倉書店 出版「ガラスの百科事典」より引用 |
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【ガラスはなぜ透明か】 | |
透明な物質は、人々に清潔感や清涼感、あるいは神秘性を抱かせる。これが、ガラスが古来より人類を魅了してきた主因であろう。人間の目に見える光の波長は可視光とよばれ、およそ400〜700nmの範囲に限られている。透明であるということは、この波長域の光を吸収したり散乱(反射)したりしないことである。空気/物質の界面では、屈折率が不連続に大きく変化するため、反射が生じる。透明にみえる窓ガラスでも表と裏の界面で約4%ずつ、合計で8%の光が失われている。窓ガラスは可視光を吸収しないが、粉砕して粉にすると、透明性は失われ、白色を呈する。これは、入射した光が、多くのガラス粒の表面で幾度となく反射されるため、ほとんどまっすぐに透過しなくなってしまうからである。大きな塊のガラスが透明なのは、反射の原因となる界面を内部にもたないためである。 「なぜ(均一な)ガラスは透明か?」ということを、正面から科学的に考察した科学者がいた。1977年にノーベル物理学賞を受賞したモット(Nevil Mott)である。彼は1960年代にこの疑問を抱き、また当時、黎明期であったアモルファス半導体に対する興味をそそられ、その物理に本格的に取り組んでいった。ガラスでは、原子が規則正しく並んでいないので、周期性の存在を大前提とするバンド理論(ブロッホの定理)が成り立たず、バンドギャップというものが存在しないのではないかと思われる。しかしながら、ガラスは透明であることから、結晶と同様なバンドキャップが存在することが明らかである。すなわち、バンドギャップの存在には構造の周期性は必要ではない。ガラスの構造には、周期性(長周期秩序)は存在しないが、ある原子に隣接した原子の種類や個数など(短距離秩序)は、対応する結晶と大差がない。バンドギャップは、長周期秩序ではなく、短距離秩序によって決まるのである。 ガラスの透明性の追求は、光ファイバーの研究において徹底的に行われた。その結果、シリカガラスで、1kmの長さでもわずか3.5%しか吸収(正月の快晴の日に都心から富士山を眺めたような空気の透明さに匹敵)が生じないという「透明な窓」の存在が1550nm付近に見いだされ、現在ではこの波長領域を使って光通信が行われている。以上のように、光の波長オーダーで均一な構造をもつために、ガラスやアモルファスは透明であるという特徴をもつ。もちろん、透明さはガラスの専売特許でなく、粒界をもたない単結晶も透明である。しかしながら、大きな単結晶の育成は容易ではなく、透明で大きな形状のものが容易に得られるのは、ガラスとプラスチックだけである。透明性と低温で薄膜化できるというアモルファスの利点を活用し、これに半導体機能を併せもつ物質が、ガラスと同じような酸化物で発見され、これを使った曲がる高性能な透明トランジスタが2004年11月にNature誌に報告された。柔らかいエレクトロニクスへの展開が熱心に検討されはじめた。 朝倉書店 出版「ガラスの百科事典」より引用 |
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【コーニングガラス美術館】 | |
コーニングガラス美術館(The Corning Museum of Glass)は、米国ニューヨーク州の静かな片田舎コーニング市にある。 コーニング社の本社があるこの町は、ニューヨーク市から車で約5時間、ちょうどナイアガラまでの中間付近にあたり、またセラミック街道(ceramics corridor)の中心地でもある。 夏の観光シーズンには、バスツアーなどでこの町を訪れる観光客も多い。 その人々が必ず立ち寄るといって差し支えない場所が、コーニングガラス美術館である。 ここでは、ガラスに関する歴史、芸術作品、工芸品、今日に至るまでのガラスの科学や技術の発展と製品への応用など、多彩な展示が常設展として行われており、訪れる人々を魅了する。 美術館は1950年創立で、すでに半世紀の歴史をもつ。当初は、コーニング社により設立されたが、広くガラスの理解を深めることを旨とした非営利組織として活動している。 設立翌年の1951年に一般公開されたときの収蔵品目はおおよそ2000点、職員数は2名であった。コーニング社の創業150周年にあたる2001年、大幅な改修と拡張を終えた美術館は、3500年に及ぶ人類とガラスの歴史を代表する45000点以上の収蔵品を有する世界最大のコレクションとなった。 「ガラス・イノベーション・センター」では日常的な応用製品例から最先端の応用まで、科学技術とガラス、ガラスセラミックスのかかわりを多様な角度から、インタラクティブに、またときには発明の逸話などとともに見学できる。この展示では、コーニング社以外で用いられている技術、たとえばフロート法などの説明展示もある。 「ガラス彫刻陳列室」では、ガラスを用いた現代彫刻に圧倒される。ほとんどの作品は、過去20年程度の間に制作された彫刻で、多岐にわたる手法で造形されている。ときどき展示作品を入れ替えるが、日本人作家の作品も展示されている。 圧巻は、この美術館の「ガラスコレクション陳列室」である。 このコレクションは、近東、アジア、ヨーロッパ、そして米国など、世界各地でつくられたガラス製品を、3500年以上前の古代エジプトから現代に至るまで一堂に集めた、世界でもっとも有名で充実したガラスのコレクションである。過去に数回、この展示の一部が日本で展示されたことがある。展示は「ガラスの起源」、「ローマのガラス」、「イスラムガラス」など、11のテーマ別に整理されている。 研究施設では、学芸員によって歴史的なガラスの製法や出土地の判定などの研究が行われ、Journal of Glass Studiesなども刊行している。されに、高級ガラス工芸品として有名なスチューベングラス(Steuben Glass)の工房もこの美術館に隣接してある。美術館には、日本語などの世界各国のパンフレットが用意されており、世界中から年間30万人を超える見学者が訪れる。 朝倉書店 出版「ガラスの百科事典」より引用 | |
【国立天文台 成相恭二 名誉教授 特別寄稿】 | |
D.O.ウッドベリーと言う人が書いた「Glass
Giant of Palomar 」と言う本があります。 これはパロマーの200インチ望遠鏡の製作の記録であるだけではなく,ヤーキス天文台の40インチ屈折望遠鏡,ウィルソン山の100インチ望遠鏡、 パロマー山の200インチ望遠鏡と,より多くの光を求めて大望遠鏡を建設した ジョージ・エラリー・ヘールの伝記であり、また天体物理学の20世紀における進歩の歴史でもあります。 なにしろガラスなくしてはできない大望遠鏡の製作の記録ですからガラスに関するエピソードは沢山あり,この「ガラスおもしろエピソード」欄に載せて頂いても良いかと考えました。 最初はヤーキスの40インチ屈折望遠鏡のレンズです。これは南カリフォルニア大学が当時世界一だったリック天文台の36インチより大きいものを作ろうと フランスの光学会社にガラス円盤を作らせたが、寄付が集まらず行き先を失っていることを知ったヘールがシカゴの大富豪ヤーキスを説き伏せて資金を得る話しです。 1892年のことでした。 私の山岳部の先輩の一人は、この部分を商談を成立させるための準備,熱意,話術など セールスマンの模範となるべき事例として捉え,会社の部下全員にこの本を熟読玩味するように命じたくらいです。 天体進化の研究を押し進めるためには40インチよりさらに大きい望遠鏡が必要なことをヘールが感じていることを知った父親ウィリアムはひそかにフランスのガラスメーカーに、製作しうる最大のガラス円盤の注文を出しました。これが後に60インチの反射望遠鏡 になり、ウィルソン山に設置されて1908年にその使用が始まりました。私が中学生の時に親に買ってもらった口径25mmの望遠鏡キットとは桁が幾つも違います。 ウィルソン山100インチ望遠鏡はフーカーの資金によって可能になりました。これはフランスのサン・ゴバン社が鋳造し、焼き鈍しのために積み肥えに埋めたそうです気泡があったのでヘールはそれを受け取ってから検査した結果,鏡には使えないと結論し,機械工場の中で部品の組み立て台として使われていましたが,カーネギー財団 のデー博士の助言によって研磨することが決まり,リッチーが研磨して1917年に完成しています。 なお,この焼き鈍しの方法はサン・ゴバン村に伝わるアニーリングの秘法だそうですが,後述する最初の訳本では「肥料溜に埋めた」とあります。私はこれをずっと「臭い液体に浸 けた」ものと解釈し, 使う時に洗うとは言え,臭みが抜けきれる物かどうかずっと疑問に思っていたのですが, 今回読み直してみると,「ガラス板を掘り出し,肥料を洗い落とし,」とあるので, 私の読み違いで,訳者は「堆肥に埋めた」と正しく解釈していたようです。 でも大きいガラスの焼き鈍し方法について、日本のガラス関係者に手に入る文献は この訳本だけだったことを考えると,私のように誤解していた人も数多くいらっしゃるのではないかと思われます。 その次は200インチです。1928年頃ロックフェラー財団の600万ドルの資金で始まったこの計画では 熱膨張係数の小さいパイレックスガラスと溶解石英の2つが鏡の素材として検討されました。最初は溶解石英が試されましたが,巨額の費用と年月をかけた後中断され, その後パイレックスで肋骨つき円盤として完成しました。 1936年に山頂に望遠鏡は搬入されましたが,第2次世界大戦のために作業は中断され,1948年に完成しました。 この200インチの話しはエピソードとして書くには長過ぎます。 なにしろ500ページ近くにわたって,次から次に起きる難問にどのように対処したか書いてあるのですから。 ガラスに関係のないエピソードで私が一番好きなのは次の物です。 マウント・ウイルソンの連中は、あるときアインシュタイン教授を百インチの天文台に招待したらしい。 そしてドームを同教授の頭の上で回転させ、彼がどうするかを見ようとした。彼はすべての人がするように必死に機械にしがみつき、ドームが動き出した時にうめくように 『そんなばかな。そんなばかな。だがやっぱり動く』と言いつづけた。効果を高めるため、他のものも機械にしがみつくふりをした。その騒ぎの最中誰かが『アインシュタイン博士、これは相対性原理です。そうではありませんか』と叫んだ。しかし同教授は頭がぼーっとして、この冗談を理解 することは出来なかった。そして『頼むから、モーターを切って われわれを止めてくれ給え』と哀願したという。 なお,この本は戦後間もなく関 正雄,湯沢 博の訳で「パロマーの巨人望遠鏡」として 出版されたものを、2002年に私が共訳者に加わって、現代仮名遣い,当用漢字を使って書直し, 岩波文庫から出してもらいました(青版942-1,2)すばる望遠鏡のリーダーだった小平桂一も私も高校時代に最初の訳で読み,感激しています。この本がすばる望遠鏡への道を示したと言っても言い過ぎではないでしょう。ガラスにかかわる皆様や 天文学に興味をお持ちの皆様に一読をお勧めします。 |
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【変わったガラスの話】 | |
ガラスと言えば、誰もが透明・平滑という物性を思い浮かべるだろう。しかし、特殊ガラスの中には不透明でスポンジのように孔だらけのガラスもある。このようなガラスは多孔質ガラスと呼ばれる。 多孔質ガラスにも色々あるが、ここでは私がショット日本(株)の現役時代に商品化に成功した'焼結'多孔質ガラスについて述べよう。先ずは製品の写真と表面の顕微鏡写真をご覧いただきたい[図1, 2]。このガラスにあっては、60-70%が孔であるのでガラス・スポンジと名づけても良いだろう。製法は至って簡単:粉にしたガラスと食塩を混ぜた物をプレス成型してリング型にし、それを炉に入れて焼いてガラス化する(焼結)。焼結されたリングは中に塩の粒を抱いているため、重い。これを水で洗うと塩粒が溶け出して、その跡が孔になる。このようにして、作られた文字通りの多孔質ガラスは極めて軽い。商標名は「SIPORAX・シポラックス」と名づけられた。Sinter(焼結)とporous(多孔)の合成語である。 |
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製品の写真-図1 | |
孔の顕微鏡写真-図2 | |
「それは何のために?」というのが当然の質問であろう。目的は微生物や動物細胞の固定。応用分野は水の浄化であり、ビール等の醸造であり、また動物細胞が作り出す医薬等である。以下ガラス・スポンジと魚類等飼育水槽水の浄化を中心に述べることとする。 自然界の海、湖、川等の水がきれいに保たれているのは魚類等の生体密度が低いからではない。排泄物や死骸等から出る毒物を摂取して浄化する一連の微生物の働きによってきれいに保たれているのである。 これを解り易く金魚を入れた水槽のような閉鎖系で説明しよう。金魚の糞や食べ残しの餌はアンモニアに変わる。アンモニアは微量であっても金魚やその他の魚類にとって有毒であり、死の原因ともなる。ところが自然界にはアンモニアを食って亜硝酸塩に変換する微生物が生息する。亜硝酸塩も有毒であるが、ありがたいことに、これを摂取して硝酸塩に変換する微生物も居る。硝酸塩の毒性はアンモニアや亜硝酸塩に比べれば格段に低い。(海水魚やサンゴ等硝酸塩に弱いものもあるが。)ところが硝酸塩は分解も蒸発もしないため、水槽水では一方的に濃度が高まって行きpH値を崩す原因となる。 しかしこの世の中には、この硝酸塩を食って窒素に変換し空気中に放出する微生物すら居る。この微生物は酸素があると酸素を取るが、酸素欠乏状態におかれると硝酸塩・NO3からO2を奪い、その結果窒素が空中に放出される。自然界では酸素欠乏の環境もあるため、完全な浄化が行われるのである。この完全な水の浄化系を以下に図示する。 |
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ひるがえって水槽では、水中の酸素が潤沢になければ魚類は生きて行けない。このような環境下では、せっかく居る硝酸塩を食う微生物が酸素を取ってしまうため硝酸塩の分解は起こらない。そこで一定期間ごとに水換えをしてやらなければならないのである。 上の図で解る通り、水の浄化は「春になると桶屋がもうかる」よりもっと論理的に起こる。生体から老廃物が出るが故にそれを摂取する微生物が存在する。これら一連の微生物は相互に依存しあって生息している。ただ、彼等は水中に浮遊している状態では仕事をしない。何かにしがみついて、初めて活動するのである。自然の中でサンゴ礁の海水がもっともきれいとされるのは、サンゴのような多孔体にこれらの掃除屋達が無数に定着して仕事をする結果である。 ここで多孔質ガラス・シポラックスの登場となる。サンゴよりももっと多孔質の※'担体'を水槽用のろ材として持ち込めば、微生物密度が飛躍的に高まりサンゴ礁顔負けの水質浄化が起こる。(因みにサンゴは表面の凸凹が大半で、孔は少ない。)あるいは、サンゴ礁の浄化装置を小型化して水槽に持ち込む、と言ってもかまわない。 ※担体(たんたい):吸着や触媒活性を示す物質を固定する土台となる物質のこと。 では、酸素潤沢な環境下でなぜ硝酸塩の分解まで起こるのか?これはシポラックスのリング形状に由来する。リング外表面にはアンモニア→亜硝酸塩→硝酸に変換する微生物のコロニーができる。彼等が酸素を消費するため、リングの内奥部は嫌気的雰囲気、すなわち酸欠状態となる。この部分に群生した第三の微生物が硝酸塩NO3からO2を奪い、Nを空中に放出して自然界におけると同じ浄化が起こるのである。これらがうまく機能して、水換えすら行う必要の無い例も多い。 シポラックスは一時、最高のろ材・浄化材として、ホビー水槽の主役となった。また1994年に打ち上げられたスペースシャトル・コロンビアでは、メダカ、金魚、イモリの水の浄化に同じ多孔質ガラスがろ材として使われ、2週間にわたる飛行期間中のアンモニアと亜硝酸塩をゼロに抑え、実験の成功に寄与することができた[図3]。 |
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宇宙実験-図3 | |
このような多孔質ガラスは、目下世界の環境浄化における最重要課題の一つである'脱窒'に役立つポテンシャルを持つ。身近な例では、水道水に含まれる微量の窒素を分解するというような。そのような展開をはかる前に、シポラックスとその製造装置・技術が他社に売却されるということが起こり、私としては心ならずも多孔質ガラス製品の販促を中止するの已むなきに至った。しかし、このような多孔質ガラス特性や有用性は消えることなく残っている。 アシノフィス有限会社 代表取締役 芦野豊氏より特別寄稿をお寄せいただきました。 |
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【ガラスの仏像】 | |
1990年の初め頃であったと思う。商社を通じて数メートルの大きさの水晶の仏像が製作可能であるか問い合わせが来た。図面の仏像はアートデザイナーによって描かれたらしく精密である。製作できればコストは高くなっても問題ないとのこと。
依頼主はどこかの宗教法人で名称は言えぬとのことであった。 水晶を材料とする溶融石英では溶融温度が2000℃と高い故に、製作を引き受けてくれる所は全く見つからなかった。そこでクリスタルガラスではどうかと考え、高級な工芸品ということで有名な米国のコーニング社のスチューベンガラスで製作可能であるか、また国内のクリスタルメーカー数社にも対応できるか問合せたが拉致があかなかった。商社には『いろいろ当たってみたが製作不可能です』と丁重にお断りした。 その数年後に、あの恐ろしいオウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、警察の強制捜査により上九一色村の第7サティアンの施設の中に仏像をかたどった壁が発見された。今となっては仏像の依頼主とオウム真理教を結びつける証拠は何もないが、不可解ですっきりしない問合せであった。 |
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特別寄稿【ガラスとの出会い 江上浩二氏(オフィストリプルB)】 | |
私が本格的にガラスと出会ったのは、大学4年の時、今から32年前のことだった。そのガラスはカルコゲナイド系ガラスで、ヒ素(As)と硫黄(S)からなる物質であった。正確に言うと、アモルファス物質、非晶質物質といった方が良いかも知れない。アンチモンやテルルを含むものもある。 次に就職して、シリコン(Si)半導体の薄膜研究を始めた時、基板として使った7740, 7059という数字、4桁のコード表示される米国コーニング社のガラスであった。ホウ珪酸塩ガラス(=パイレックス)とバリュウムホウ珪酸塩ガラスである。半導体用基板として使うの、当時直径2-3インチ、厚み0.7mmぐらいの面カットしたウェファー状に加工して頂いた。30年弱前の“昔“からである。 その後、故あってコーニング社へ転職して、光ファイバーを取り扱うことになった。光ファイバーは超純粋石英ガラス(SiO2)から出来ており、光が通る細いコアーはゲルマニウム(Ge)がドープされた合成ガラスである。そのコアーにドープするGeの量や拡散領域の大きさで、ガラスの分散特性が精密に制御でき、波長多重光伝送システムに使われている。世界中の海の底へ沈められ、これが光海底ケーブルの正体である。インターネットなど、国際データ通信はこの光海底ケーブルに支えられている。 通常の溶融法で製造されるホウ珪酸塩ガラス以外に、次の2つのキーワード物質を紹介したが、これらのガラスの製造方法をちょっと眺めてみよう。 カルコゲナイド系非晶質物質:これは原料のヒ素、硫黄を混合して溶融させ、急冷して作るわけだが、昇温すると材料からの蒸気圧が高く、開放系の容器では製造できない。ガラスアンプルに封じ込めて、溶融・急冷工程を行い、所望のガラスが出来るのである。アンプル中でも、温度、蒸気圧の制御が必要で、一部分離した単組成が残ると、所望の化学組成のガラスが出来ないのである。当時、特殊ガラス製法の研究をしていた無機材料研究所で作られたサンプルであった。今の、光記録材料の基本的物質である。 超純粋石英ガラス:光ファイバーはその不純物をppbレベル(10億分の1)までに下げる必要があり、私が日本で事業化に取り組んだ1985年ごろには化学気相成長法が確立され、幹線通信ネットワークで十分使用可能なレベルにまでなっていた。溶融法と異なり、容器も使わず、所謂溶融工程も無い製造法である。4塩化珪素ガスを原料として酸化させ、細かなSiO2の粒子を心棒の周りに堆積させるのである。途中でその心棒を取り除き、プリフォームという見た目、白い白墨のような長さ1m以上、直径10cm以上の塊が出来る。これには、既に述べたコアーガラスが作られる細工が済んでいる。やはりGeの塩化物を酸化させ、ガラスになっている。容器が無いので、このプリフォーム自身の端をちょっと支持して、ガラスの焼結を行い、透明の超純粋石英ガラスが得られるのである。この焼結工程中で、不純物除去の工程も含まれている。最近では、最後に残った-OH基(水)を極限的に除去したシングルモード光ファイバーも開発・商品化され、実用されている。 偶然にも、私の人生で、先端技術の流れに沿って、ガラスと出会い、関わりを持てたことは感謝に値する。 江上浩二氏より「ガラスのエピソード」について特別寄稿をお寄せいただきました。 |
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【幻の薄板ガラスドラム巻き仕様(スプールド・マイクロシート)】 | |
もう20年前の話であるが、アメリカのコーニング社は0211マイクロシートガラス(板厚0.15mm〜0.30mm)をユーザーでの部品製造ラインの連続生産用に、木のドラム直径約510mmに巻いてみることを試みた。イメージとしては薄板ガラスをトイレットパーパーのように巻いたのである。0211マイクロシートガラスは顕微鏡のカバーガラス、タッチパネル基板など様々な用途で使用されており透明で平坦度の高いガラスである。試作品は厚さ0.15mm、0.20mm、0.30mmで幅が412mmのガラスを約137メートル巻いたもの造った。セミコンなどの展示会などに出展し、また既存のユーザーに紹介し検討してもらったが、連続生産の為の製造機械開発コストや技術的諸問題などがあり、結局採用には至らなかった。20年前のあの頃から比べると現在では、部品用のガラス加工の技術も大幅に進歩し、ガラスの用途も多様化している。しかし製造コスト削減の潮流は中国などの人件費の安い国に量産工場を移すという常識に成りつつある。幻の薄板ガラスドラム巻き仕様の出番は永遠に来ないのだろうか興味がある。 |